木田貴明は小学校5年生のときにバスケットボールを始めて以来、プレーヤーとして取り立ててうれしかった経験がないという。 「優勝したことがないからかもしれません。今シーズン優勝してB1に上がれたら、バスケ人生で本当にうれしいことになるかもしれないですね」。木田はそう話す。
逆に悔しかったことはと尋ねると、即座に語り始めたのは熊本ヴォルターズに在籍していた昨シーズンのことだ。デビューから5シーズン目※、木田はプロの世界で初めて首位攻防戦を体験し、プレーオフ進出をかなえた しかしB1昇格をかけたプレーオフ・セミファイナルでの敗北が、そのすべてを帳消しにしている。「悔しかったのは去年B1に上がれなかったことです。負けただけでなく、最後の最後に僕自身ケガでコートに立てなくて、ものすごく悔しかったですね」
そんな思いに加えて、居心地の良い熊本がいつの間にか自分のコンフォートゾーンになっているとも感じた。自分には挑戦が必要だ。木田はその舞台にアルティーリ千葉を選んだ。
※「GUIDE BOOKLET」での表記に誤りがございました。お詫びして修正いたします。
【誤】デビューから3シーズン目/【正】デビューから5シーズン目
「優勝したことがない」という木田の言葉には、少し説明が必要だ。それは学生時代に日本一になれなかったという意味であり、プロとして最高峰の舞台に到達できていない、そこで日本一になれていないという意味だ。自分の中の高みに到達していないと感じているために、そんな表現になるのだろう。
金沢では下級生の頃からメンバー入りし、3年生時の2013年は爆発的なスコアラーとして活躍。チームをインターハイ、ウインターカップのベスト16と初の北信越大会優勝に導いた。ウインターカップでは初戦で秋田県立能代工業高校(現能代科学技術高校)相手に30得点、12リバウンド、3アシスト(87-83で勝利)、2回戦の山梨県立市川高校戦で22得点、16リバウンド、3アシスト(91-57で勝利)、最後の八王子高校戦が37得点、7リバウンド、5アシスト(63-78で敗北)。アベレージは29.7得点、11.7リバウンド、3.7アシストだ。対戦相手にしたら、単に「爪跡を残した」程度ではない大ダメージだったに違いない。
青山学院時代は最終学年時にキャプテンを務め、かつスコアラーとしても大暴れしている。 年度のスタートとなるスプリングトーナメントは、最終的に優勝した筑波大学に準々決勝で72-73の惜敗を喫しベスト8。秋のリーグ戦では4位に浮上し、インカレも6位に食い込む健闘ぶりだった。
最後のインカレでは、春と同じく準々決勝で筑波と激突。前半23点差の劣勢を背負ったが、最終スコアは74-77と3点差まで追い上げる執念を見せた。木田自身はこの試合での22得点を含め、この大会の5試合で平均15.0得点のアベレージを残している。特に筑波との準々決勝とその後の3試合は平均19.7得点。ビッグゲームでキャプテンらしくチームをけん引した。
競技経験を持つ父親の影響と友だちの誘いをきっかけに、作見小学校5年生のときにバスケットボールをプレーし始めた木田だが、飛躍への転機は早くも中学校進学時に訪れる。進路として、自身の住む学区外にある加賀市立錦城中学校を選択したことによって、その後の方向性が大方決まるのだ。
「ミニバスの1学年上に別学区のすごく強いメンバーがそろっていたんです。その人たちが卒業した翌年、いざ自分も中学校に進学しようというときに、その人たちと一緒にやりたくて越境入学させてもらいました。親にも教育委員会に頭を下げてもらって…。たぶんそこで本来の学区の中学校に入っていたら、今の自分はありません」
強い気持ちを持って進んだ錦城中では、2年生時に県選抜メンバーに名を連ね、ジュニアオールスター出場を果たした。 その成果として全国区の強豪として知られる私立金沢高校から声がかかり、現在のプロキャリアへの道が切り開かれていくのだ。「両親の力も先輩たちの存在も大きかったですね」。木田は感謝を込めて今もそう話す。
飛躍の過程では何がうまくいったのかと聞くと、木田は「乗りと勢いです!」と明るく答えた。
「僕は本当に乗りと勢いと運が良かった、タイミングが良かったというだけでここにいます。あとは、出会う人がすごく良い人ばかりです。特に年上の人たち。先輩の方たちにすごくかわいがられて、大学も高校も中学も年上の人に恵まれました」
逆に、良い人々との出会いを大切にでき、良いところを吸収できるのが木田の特徴の一つのようにも感じる。 プレーがいくらうまくても、人間性が伴わなければ魅力は感じない。きれい事は言うのも聞くのも嫌。 そんな木田が、「いろんな先輩を見ていると自分はまだまだ子どもだなと思うし、こういう大人になりたいなと思う人もたくさんいます。その人その人の中に、そう思えることが多々ありますね」と学びの視線で接する人間だからこそ、周囲の人も惹きつけられるのだろう。
今シーズン、アルティーリ千葉でのプレーぶりには、その姿勢も如実に現れている。数字で言えば、3月19日の佐賀バルーナーズ戦を終えた時点までの平均8.5得点は、青山学院4年時に特別指定枠で金沢武士団に所属した2017-18シーズン以来の少なさだが、フィールドゴール成功率41.0%は逆にキャリアハイ。 木田のオフェンスが効率的になっていることは、チームが今シーズン多くの時間をリーグあるいは地区首位として過ごせていることと無関係ではないだろう。
「(長期間首位にいるのは)僕には初体験ですごく新鮮な感じがします。スタッツに関しては、昨シーズンまでなら多少無理矢理でもシュートにいくようなアプローチでした。それだけ周りに頼られていたというのも事実なんですけど、確率が下がってもしかたがありません。今は誰が出てもうまくいくので、無理する局面が本当に減りました。本当に自分が打てるタイミングでしか打っていないので、効率が上がったと思います」。木田はそう自己分析する。
これは木田が自らのステップアップのために敢えて選んだ環境だ。「もし今シーズン熊本に残っていたら、去年のように自由にやらせてもらえたでしょうし、ある程度の活躍もできていたとは思います。でも、自分の中でもう一段上に行くためには新しい環境、同じポジションに自分よりも勝っている人がいる環境でやることが必要だと思いました」。
中学校の選択が飛躍を呼んだのと同じように、アルティーリ千葉で木田はそれまでとは違う自分を見せているように思える。
バスケットボール人生で心底うれしかった経験はまだない。 「今年がそういうエピソードとして話せる年になったらいいなと思います」と木田は話す。 これからきっと何度もそんな経験をするだろう。今シーズンのB2制覇とB1昇格を、木田はその始まりにするつもりだ。