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アルティーリ千葉

ALTIRI CHIBA

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Enter The Dragon——「燃えよドラゴン」という邦題で1973年に公開された、武術の達人ブルース・リー主演の映画はこんな原題だった。直訳にリーの小柄な体格と繁体字による芸名表記「李 小龍」のニュアンスを込めれば、「小龍現わる」にもなる。
リーの圧倒的な戦闘力と強靭な意志の力を体現したこの作品は、数々の主演作の中でも最大のヒット作となり、中華圏の特徴的文化の一つである拳法の魅力を世界中に広める役割さえ果たしたのである。

あの年からちょうど50年後の昨年11月24日、伝説の小龍とは対照的に驚くほど大きな“リュウ”が我々の前に現れた。その日アルティーリ千葉が加入を発表したリュウ チュアンシン(劉 傳興)だ。リュウはBリーグ歴代最長身となる226cmのビッグマンであり、クラブ初の中国出身プレーヤーでもある。アルティーリ千葉の魅力をこれまでにない形で世界に広められる存在だ。

リュウは中国中心部からやや東の河南省濮陽市に生まれた。
「濮陽は『顓頊の首都』とか『舜帝の故郷』(顓頊と舜帝は古来中国に伝わる聖人)として知られる歴史と文化の都で、中国古都協会は『中国の帝都』とも名付けています。古代遺跡で龍の埋葬品が見つかったことから『龍の里』とも呼ばれているんですよ」。リュウは故郷をこう説明した。

新華社(中国の国営通信社)のオンラインサービスが伝えるところによれば、リュウは誕生時の体重がなんと10斤(6000g)越え。この世に生を受けた瞬間から「大龍」だったのだ。

すくすくと育ったチュアンシン少年は、本人によれば「12歳の頃には身長が186cmくらい」。13歳では190cmを越え、16歳の頃にはすでに200cm以上あった。ちなみに両親の身長を聞くと、「父が172cmで母が163cm。僕だけが大きいんです」

濮陽は1990年代からバスケットボールも盛んで、リュウは幼少期からバスケットボールに親しんだ。しかし本腰を入れ出したのは、突出した長身を生かすために地元のスポーツスクールに転校してから。当初はあまり好きになれなかったが、今も恩師と仰ぐツァイ ジュン(蔡 军)という名のコーチの下で腕を上げていく。

「シュートの感覚がよくなって得点できるようになると、少しずつ楽しくなってきました」とリュウは当時を振り返る。
ツァイはリュウにとって、キャリアの土台を作ってくれた人物だ。また、プレーヤーとして最も影響を受けたのは、ヤオ ミン(姚 明=身長229cmの元NBAプレーヤー。現中国バスケットボール協会会長)だったそうだ。

徐々に力をつけてきたリュウは、その後ツァイの導きで深圳にあるスポーツスクールに転校。さらにいくつかの都市で精進を重ね、2018年にCBAの青島イーグルスでプロデビューを果たす。

CBAで過ごした3シーズンに、リュウはたびたび大龍らしい爪痕を残している。例えば2シーズン目には、広東サザンタイガースとの一戦で、現在※までのキャリアハイとなる25得点に15リバウンド(その時点でのキャリアハイ)を記録。
同シーズンには吉林ノースイーストタイガース戦で、16得点にキャリアハイの19リバウンド、4ブロック(その時点でのキャリアハイ・タイ)という試合もあった。翌3シーズン目には天津パイオニアーズ戦相手に18得点、15リバウンド、そしてキャリアハイを更新する5ブロックというデータもある。

本人が選ぶベストゲームは3シーズン目のプレーオフで、身長218cmのハメッド・ハッダディ(イラン代表、元NBAプレーヤー)を擁した四川ブルーホエールズを93-91で下した一戦だ。
「レギュラーシーズンでハッダディ選手相手に何もできずに負けたんですが、あのときは僕も活躍でき、何とか勝てました」。
リュウはこの試合でフィールドゴール15本中10本を成功させて20得点を挙げ、13リバウンド、4ブロック、1アシスト。この貢献なしには、勝利をつかむことは間違いなくできなかっただろう。

その後リュウは、2021年の夏にFIBAアジアカップ2021予選と東京2020オリンピック最終予選で中国代表に名を連ね、同年9月にデベロップメント・プレーヤー(Bリーグにおける特別指定枠に似た立場)として、オーストラリアNBLのブリスベン・バレッツに加わる。
A-xxならばご存じのとおり、ブリスベンはアンドレ・レマニスHCが指揮していたチームだ。ただしリュウの加入はレマニスHCがアルティーリ千葉に移籍した直後だ。

翌2022-23シーズン、リュウはEASL(東アジアスーパーリーグ)に参戦していたベイエリア・ドラゴンズに加わり、2023年3月のチャンピオンズウイークで来日してプレーした。アルティーリ千葉との接点ができたのは、その後にマカオ初のプロクラブ、ブラックベアーズに一時的に所属していた頃のことで、リュウのワークアウトを見にクラブ関係者が足を運んだのが始まりだ。
「(アルティーリ千葉の方々が)僕を気にかけてくれて、とても良い時間を過ごせました」とリュウは当時を振り返る。クラブの熱意は伝わり、短期間で想いが一つになった。

日本での新しい環境になじむのは簡単ではないだろう。しかし、リュウの柔軟な適応力はその困難をほとんど感じさせない。
「僕は比較的早く故郷を離れたので、子どもの頃から自立心が強いんです。自分で消化しなければならないことが多かったからでしょうね」と本人は言う。楽観的で仏教徒でもあるリュウは、「いつも笑顔でいたいなと思っています」という穏やかな性格だ。

そんな人となりは、コート上でのあいさつやインタビューでのにこやかなやり取りからも伝わってくる。
趣味は旅や食べ歩き。千葉でもさっそく焼肉や寿司、そしてもちろん中華料理も味わった。千葉の中華料理は「故郷の味とは少し違って、和風に進化させていますね」と日本らしさも楽しんでいる。

ユニフォームの#12は、自身のキャリアが12月21日に始まったことに由来しているのだそうだ。ブリスベンでは#21だったが、ブラックネイビーでのそれは大黒柱ブランドン・アシュリーの番号なので、リュウは自身にとってのもう一つのラッキーナンバーである#12を選んだ。

それにしても、リュウの存在感は絶大だ。第17節までに出場した17試合では平均3.8得点、3.0リバウンド、1.4アシスト、0.3ブロックとおとなしげだが、プレーぶりは圧巻。ポストアップしてペイントに押し込む力強さに加えて、器用なステップで相手をかわすスキルもあり、強烈なダンク、柔らかいタッチのフックショット、絶妙なアシストと多彩だ。
しかも3Pショットもある。ディフェンスでは相手のピック&ロールに対応できる機動力を備えている。

Bリーグデビューは2023年11月25日の新潟アルビレックスBB戦で、リュウは3Pショット2本成功を含む7得点、2リバウンド、1アシストを記録して81-52の勝利に貢献した。
このときレマニスHCは、「リュウはほかのプレーヤーと特徴も能力も違います。コーチ陣として、どうすればそれを最大限に生かせるかを見極めなければいけません」と話していた。
世界的名将の経験さえ超越するスケールのタレントだということだろう。計り知れないポテンシャルは、今後ケミストリーが深まって出場時間が増えれば、実際にパフォーマンスとしてさらに発揮されてくるだろう。

Enter The Dragon——大龍現わる。辰年の2024年は、リュウ自身にもアルティーリ千葉にも、新たな境地に飛躍を遂げる年になりそうだ。

※=スタッツに関しては2024年2月16日までのデータを基にしています

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