長野県長野市出身の鶴田美勇士は、本人いわく「本当に何もない」雪国で育った。そのような背景を持つ人から連想される典型とも言えそうな、素朴な人柄だ。一方でミュージという響きと「美しき勇士」と書く名前から、実際の人柄とは異なる印象を持たれるファンもいるのではないだろうか。
「周りからは珍しい名前だと言われるんですけど、あまり自分では感じていなくて。付けたのは父親です。『美勇士がいい』と僕が生まれる前からずっと言っていたらしいです」 由来は本人も聞かされていない。ただ、実際にごくまれな命名であることを、ある著名な言語学者が著書の中で記している。
そしてまれなのは名前だけではない。左利きで身長200cmの非常に優秀なアスリート。生真面目なディフェンスやリバウンドに加えて、3Pショット(昨シーズン11本中7本成功で成功率63.6%)と豪快なダンクが魅力。こんなビッグマンはそうそう見つからない。
バスケットボールを始めたのは小学校3年生のとき。2つ年上の姉がミニバスに入るタイミングで両親に一緒に連れていかれ、そのまま鶴田も始めた。「僕自身は特に興味はなかったんですけど、身長が高かったし両親がバスケをやっていたので…。最初は面白くなくて、イヤイヤだったんですよ(笑)」
しばらくはボールの扱いもおぼつかなかった鶴田だが、グングン体が大きくなり周囲の期待を感じるようになるとともに、意識に変化が訪れた。ずば抜けた身体能力も早々に開花。中学校1年生のときには早くもダンクができるようになった。
その後、東海大諏訪から東海大へと進む間に、何となく遠目に眺めるだけの景色だったプロの世界が、いつの間にか自分の方に近づいてきていた。「競争が激しい東海大で主力として出してもらいながら、先輩がどんどんプロになるのを見るうちに、自分もプロでできるという自信が芽生えました」。今や鶴田はプロとして5年目のシーズンを迎えている。
幼い頃の鶴田は「好き嫌いなくご飯をめっちゃ食べるし、めっちゃ眠る」子だった。しかも父親が約185cm、母親も170cm近い。大きくなる要素は揃っていた。「バスケをしっかりやるようになった小学校高学年の頃にもう身長が180cmぐらいあって、指導してくださっていた方からも期待されて初めてキャプテンになりました」。その頃から鶴田は本格的にバスケットボールにのめり込んでいく。
夢も持つようになっていた。鶴田が10歳になった2006年に日本で開催された世界選手権(現在の呼称はワールドカップ)とそこに至るまでの強化試合が、若き鶴田を強烈に刺激したのだ。当時日の丸を背負っていた折茂武彦や、現在までそのレベルを維持し続けている公輔・譲次の竹内兄弟らが眩しかった。「A代表でなくても、U18世代でも日本代表入りできたらいいな」。いつしかそんな思いを抱いていた。
そんな意識を持っていたからか、ダンクを初めてできるようになった中学1年生のときには、「もう180cm台の後半だったので、逆にできないと恥ずかしい」と自分に厳しく臨み、できるようになるまでバレーボールでひたすらダンクを練習した。それが実って、今やワンステップで両足踏切から軽々成功させているのはご存じのとおりだ。好きなダンカーはザック・ラビーンだという。
そんな鶴田が、プロを本格的に意識したのが東海大に進んでからというのもやや意外だ。しかし、一線級のプロを何人も生みだしている陸川章HCの下、同期の内田旦人(現青森ワッツ)や秋山皓太(立川ダイス)らとの切磋琢磨があったからこそ、人生の大きな決断ができたのかもしれない。「大学入学前からプロを視野には入れていたものの、自分としてまだまだという感じでした。そうなりたければ東海大に行ってしっかり取り組んだ方が可能性も高くなるとも言われ、実際に東海大に入ってコーチ陣から助言をいただく中でプロを目指す決心をしました」
B1・B2で3年間を過ごした後、昨年アルティーリ千葉からオファーを受けたときは、新規チームということが強く心に訴えかけた要素だった。「ゼロからチームを創り上げて挑戦をしていく機会というのは、なかなかありません。そこに自分が入るとなったら絶対に楽しいだろうと思いましたし、創設時のメンバーは人々の印象にも残るでしょう。熱意も強く感じました。めっちゃポジティブで、このチームは明るくていいなと思って決めました」。チーム入りを決めた当時の心境を、鶴田はこう振り返る。
新規参入にもかかわらず、オーストラリアで世界的な実績を積んだアンドレ・レマニスHCを招へいしたことには驚かされた。今では「一緒に歴史を創ることができるというのが嬉しいですし、楽しみしかありません」と当時の思いはいっそう膨らんでいる。
レマニスHCの下で世界標準のプレーや取り組みを学べること、また世界的名将が見ている中で優秀な外国籍プレーヤーと日々激突することは、鶴田にとって重要だ。その環境は、世界標準のプレーヤーへと鶴田を飛躍させる機会を提供するからだ。「ポテンシャルはすごく高いと言ってもらっているので、気合を入れています」
フロントラインの層が厚いアルティーリ千葉で、鶴田の出場機会は多い方ではない。それだけに、自身の能力や思いをしっかり認識しながら、堅実にキャリアを積み重ねているその人柄も際立つ。「出場するときはヘッドコーチに求められていることを全うして、短くても長くてもやることは変えずにやるようにしています。出られなくても悔いはありません」というのが鶴田のメンタリティーだ。
「自分で言うのもなんですけど、明るいキャラだと思います。チームでは笑わせる方ですよ。いじられるのも好きですし(笑) 先輩方から良くいじられています」。それを鶴田はまったくいやがっていない。「ベテランの先輩たちのいじりは、愛されている証拠ですから(笑)」
そんな明るさが、鶴田の場合には忍耐強い取り組みにつながっている。「故障のような状況はいつ訪れるかわからないし、いつでも出られる準備は常にしてきていました」と鶴田は昨シーズンを振り返る。レオ・ライオンズの故障離脱後は特に、そうしたアプローチで臨んでいた鶴田の存在がチームに安心感をもたらす要素になっていた。
今シーズンについては「毎試合絡めるように練習を頑張り、出場したらアグレッシブなディフェンスや体を張った泥臭いプレーでレマニスHCの評価を得たい」と鶴田は抱負を語る。「チャンスがあれば得点も。スクリーンをかけたり、機転の利くプレーヤーになりたいと思います」
泥臭いピックプレーやリバウンドから鶴田が生み出す得点シーンのいくつかに、ラビーンも驚くようなゴールを揺らすダンクを期待しよう。そう伝えると、「なかなかムズイですね、それは!」と謙遜しながら鶴田は答えた。しかし明るい笑顔にやはり期待したくなる。その一撃はもしかしたら、「世界標準の鶴田美勇士」を覚醒させるかもしれない。