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アルティーリ千葉

ALTIRI CHIBA

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北海道でも北部にある名寄市で生まれ育った大塚裕土がバスケットボールに出会ったのは、小学校4年生の頃。雪国の元気な男の子らしく、スキーやスノーボードが好きで、サッカーや野球、両親がやっていたバレーボールなどの人気競技にはあまり惹かれなかった。

しかし、先にバスケットボールを始めていた1歳上のいとこのかっこいい活躍と、そのいとこに見せてもらった大人気コミック「スラムダンク」をきっかけに、大塚はバスケットボールに熱中するようになった。

本格的にプレーしはじめる前に、ウインタースポーツかバスケットボールか、どちらかに注力しようと両親と話し合った。大塚自身、実は前者に心が傾いていた。両親からも自分で選んでいいと言われたという。「なのに両親はバスケ連れて行くっていう(笑)」

どこかのどかで微笑ましい始まり方をしたバスケットボール人生だが、大塚はどんどんのめり込んでいった。 「1年過ぎてバスケットボールが楽しくなりだしたあたりからは、本当に毎日学校が終わると公園のゴールにバスケしに行っていました」。

その後華々しい舞台への扉が開いたのは東海大四高に入ってからのことで、時間はかかったが、転機は中学時代に訪れていた。2年生だった大塚に、ジュニアオールスターに向けた選考会でプレーする機会が巡ってきたのだ。 「北海道は広いので3次合宿まであるんです。僕はそもそも合宿自体、最初は何が何だかわかっていなかったんですけど、うまい子たちがたくさん集められて北海道代表を選ぶという環境の中で通用したことで、大都市の強豪に所属していない僕があそこで通用したのはすごく大きな転機だった。上のレベルでも通用するなと初めて感じたときでした」。

大塚は約40人から15人程度に絞る選考に残った。12人の最終ロスター入りを逃したが、その後の人生において重要な役割を果たす “自信” というかけがえのない宝物を持ち帰った。

アルティーリ千葉での大塚裕土はシューティングガードで、昨シーズンの3P成功率41.3%はB3のトップ10に入る好成績だった。アテンプト213本、88本の成功数ともにチーム1位。「移籍直後に新しいメンバーで結果を出す難しさはわかっています。それでもチームの勝利の中でいい数字も残せましたし、仕事をしっかりできたかなと思います」と大塚は振り返る。

しかし高校時代まではシューターではなかった。「ちょうど自分たちの代の全中(全国中学校バスケットボール大会)で3位になったチームの主力シューターがごそっと入ってきたのと、僕がその中で身長が大きかったので、4番をやっていました」。3Pショットを試合で打ったのは、「たぶん高校最後のウインターカップで1本だけ」。当時から大学でやるにはポジションを上げるべきとの助言があり、練習は確かにしていたが、実際に注力し始めたのは東海大に入ってからだ。

当時の東海大で、古川孝敏(現秋田ノーザンハピネッツ)や石井講祐(現サンロッカーズ渋谷)などの有能なシューターと切磋琢磨を重ねている。「これまでにいろいろといい出会いがあり、いい言葉もいただいているんですけど、大学の同期に秋田の古川選手とか渋谷の石井選手とかシューターがいて、今も活躍しているじゃないですか。同じポジションを争ってきた同期が今もトップでやっているというのはすごいし、刺激になります」。大塚はアルティーリ千葉で、キャプテンというさらに大きな役割を受け持っているが、そうした切磋琢磨がリーダーシップを育む助けとなったのも間違いないだろう。

性格は「見たままの感じ」とのことだが、その通りを言葉にすれば、普段は物静か、一つ一つの事柄にきちんと向き合える落ち着いた大人というところか。つい熱くなりがちなコート上でも冷静に状況を判断し、役割を果たそうとし続ける姿が印象的だ。

バスケットボールに関しては、「見ている人たちがいろんなことを忘れて楽しんでもらえるようにとあえて仕事と捉えてやっています」と話す。「以前から自分の中で確立してきたことではあるんですけど、『ファンを魅了する』というミッションを掲げたアルティーリ千葉では、よりその考えにフィットしている感じがします」と大塚は語る。

移籍にあたってはさまざまな考えが頭の中を巡った。一昨シーズンまで2シーズン在籍したB1の強豪川崎ブレイブサンダースで、2021年に天皇杯獲得に貢献したばかりのタイミング。川崎は近い将来B1制覇を狙える力を今も感じさせている。その強豪から一転、B3の新規参入チームへの移籍は人生における一大選択と言える。

「本当にいろんなことが積み重なって、移籍という気持ちが大きくなったというしかないんです。もちろんB1チャンピオンシップを獲るという目標もあったんですけど、10年以上やってきて、そんなに綺麗にいくことはないとも思いました。初優勝(天皇杯獲得)にあれだけかかって、その苦しさも、自分の年齢もわかっているので、経験から得たものを最大限に活かせる道は何かと考えたのが始まりでした」

B1クラブも含め多くのオファーをもらったが、ゼロから作るところに魅力を感じた。オーストラリア代表を世界の4強に押し上げたアンドレ・レマニスHCから学べるということも大きかった。クラブの本気度を強く感じる中で、家族からの「そっちの方が面白いんじゃない?」という言葉も背中を押した。

まったくバスケットボールに縁がない友人の助言にも耳を傾けた。「大手企業からベンチャーに仕事を変えて、その会社が将来どうなるかわからないというような状況を、サラリーマンならどう思うか?」。自分にはない視点を持つ人の話を聞き、結論として出たのは「そこで結果を出せばいいんじゃないか」ということだった。アルティーリ千葉への移籍は、自身のキャリアをあらゆる角度から展望しながら、中学生時代に芽生えた自分に対する自信を再確認する作業でもあったかもしれない。

キャプテンとしてB2昇格を果たした後、2022-23シーズンはもう一段上への昇格を目指す挑戦となる。有観客のプレシーズンゲーム2試合にはいずれも敗れたが、「その日の対戦でこういうところが駄目だよねということに向き合うことができたのは非常によかった」と冷静に評価している。

「やるべきことをやれば結果は絶対出ます。昨シーズン、あれだけケガ人やコロナ禍があった中で結果を残せたのは自信にしていいと思いますし、仮にほかのチームの方が強いと言われたら、それは自分として燃えるものを大きくしてくれるだけのことです」。ここでも自信が落ち着きをもたらしてくれる。

10月1日・2日にアウェーで戦った、青森ワッツとの今シーズン開幕節は2連勝。もちろんホーム開幕戦でも同じことをやるつもりだ。「昨シーズンほとんど負けなかったホームコートは、やっぱり守らなきゃいけません。アルティーリ千葉を見たことがない人もたくさん来ると思いますし、収容率100%でいい雰囲気でできると思うので、必ず勝ちたいです」。静かな大塚の言葉に強い気持ちが込もっていた。

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