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アルティーリ千葉

ALTIRI CHIBA

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ミニバス世代から強豪チームや有力プレーヤーがひしめく、バスケットボール界屈指の激戦区、福岡県福岡市。この地で1990年に生を受けた熊谷尚也は、日本体育大学に進んでから初めて全国的な知名度を獲得した遅咲きのスターだ。そうなったのは能力的な理由ではなかった。実際それはまったく逆。

無名時代の熊谷は、「背の順で並ぶと一番後ろで、同い年の子と比べると大きい方でした」という恵まれた体格に加え、高校2年生の冬にはスラムダンクができるようになったほどの運動能力があった。

熊谷家は、学生時代にバレーボールをやっていた両親の下、兄と姉もサッカーに情熱を燃やすスポーツ一家。熊谷自身、小学校3年生のときにミニバスチームに加わり、バスケットボール人生の扉を開けている。

小1のときに試したサッカーは、「うまくシュートを決められなくて」と気持ちが入らず続かなかった。そんなときに、「何かスポーツはやっておきなさい」という父親の勧めでミニバスの見学に行ったのが始まり。

「(サッカーで感じられなかった)シュートを決める楽しさがあったのかもしれないですね。ドリブルもそうですけど、楽しさを素直に感じてはまっていきました」と熊谷は振り返る。

とはいえ、激戦区福岡だけに周りはうまい子だらけ。小・中学校時代に市大会を勝ち抜いたことはなく、高校進学時に強豪校から誘いを受けるようなこともなかった。

福岡第一や大濠が決勝で対戦するとなったら、一ファンとして見にいっていた感じです。自分が出る大会では、もちろん負けないぞという気持ちでやっていましたが、上のレベルにいける気はしなかったですね」

一般入試で進んだ先の九州産業大学付属九州産業高校は、バスケットボール部がまだ創部3年目のチーム。「僕たちが入ってようやく3学年そろった段階で、当時は典型的な弱小校。練習も体育館が使えず外を走って終わりみたいなときもありました」という熊谷の言葉から、今の熊谷に至る道筋を想像するのは難しい。

しかし、福岡の街は光を放ちはじめた熊谷のタレントを見逃さなかった。熱意ある教員同士のつながりがセーフティーネットのように機能し、その輝きを捉えるのだ。

「熱心な顧問の先生が長崎県の瓊浦高校に遠征に連れて行ってくれたときに、相手の監督をされていた先生が日本体育大学出身だったことでいろんな方につないでいただけました。そのご縁で、当時日体大のヘッドコーチだった方が福岡まで練習を見に来てくださって、『一緒にやらないか』と言ってくださったんです。いろんなご縁から日体大に入学することができました」。

無名のスラムダンカー熊谷尚也の視界に、うっすらと大きな舞台が見え始めた瞬間だ。

頭角を表すまでに時間を要したが、熊谷は3年生時に秋の関東リーグ2部優勝に貢献。総得点6位(321、平均17.8)、総リバウンド本数9位(140、平均7.8)、総ブロック本数5位(20、平均1.1)と個人としても爪跡を残す。

最終学年ではキャプテンを任された。ただ、熊谷はキャプテンを努めたのが人生初。内面的な熱さの表現が苦手という性格だ。
一方でチームは1部昇格を果たし上昇気流に乗っている。そんな状況で、夏場までは自分らしいキャプテン像を見つけるのに苦労したという。

「最初は正直、どうしたらいいんだろうみたいな感じでした。意識が変わったのは、夏場の練習試合で同い年の学生コーチから喝を入れられてからです。『お前がやらなくてどうする!』みたいな。あの夏があったから、キャプテンの自覚を持ってチームメイトと戦えるようになったと思います。僕は周りに声をかけて引っ張っていくタイプというよりは、プレーや行動で見せるのが自分の役目なのかなと思えるようになったというか。そこをきっかけに、常に上を向き続けている姿をチームメイトに見せていこうと思えるようになりました」

良き仲間の激励に、熊谷は初体験の1部リーグで奮闘。下位に終わったものの5勝を挙げ、個人的にも総得点7位(312、平均17.3)、総リバウンド本数5位(165、平均9.2)、総ブロック本数2位(24、平均1.3)とハイレベルなパフォーマンスを披露して学生時代を終えた。

卒業後は、リンク栃木ブレックス(現宇都宮ブレックス、当時はBリーグの前身であるNBLに所属)に加わり、最初のシーズンからチーム内のMIP(シーズン中に最も成長したプレーヤーに対する表彰)を受賞するなど存在感を示す。2016-17シーズンには、B1創設シーズン制覇を成し遂げた。

その後大阪エヴェッサを経て2019年に加わった川崎ブレイブサンダースでは、2021年、2022年に天皇杯連覇の力となった。愛嬌を感じさせる“クマ”の愛称と、闘志を内に秘めたニヒルな表情。
コート上では縦横無尽に躍動し、豪快にぶち込むスラムダンクが見る者の胸を躍らせる。そんなキャラクターを確立し、日本代表候補にも名を連ねたこの間の活躍は多くのファンが知るところだろう。

その熊谷がアルティーリ千葉入りを決断した大きな理由の一つは、クラブの魅力を千葉ポートアリーナで実感じたことだった。

「昨シーズン中に長崎ヴェルカとのホームゲームを見させていただく機会があって、そのときに良いバスケをしているなと思いました。応援しているファンの方々からもすごくアツいものを感じましたし、本当に全員が勝ちに向かって戦っているなと」。

移籍の打診を受けたのはプレーオフを映像で見た後のこと。

「アルティーリ千葉はB1でやるべきチームだと感じていたところにお話をいただいて嬉しかったですし、B1に上がるために僕が必要だと思っていただけたことに対して、その力になりたい、純粋にこのチームに入りたいと思って決めました」。

同郷でブレックス時代にもチームメイトだった小林大祐と、川崎でともに天皇杯獲得に成功した大塚裕土の存在も背中を押した。

今シーズンがプロ11年目となる熊谷には、特に奮起を期する思いもある。昨シーズンはBリーグ創設後のレギュラーシーズンで自身として2番目に少ない出場時間(平均12分10秒)に終わり、3P成功率20.9%はキャリアロー。

「コンディションを上げきれずプレータイムも減って、チームもうまく勝てず、すごくフラストレーションのあるシーズンでした。今シーズンはゼロからのスタート。やってやろうという思いです」。

同郷で同期の比江島 慎が大活躍したワールドカップも大いに刺激になっている。

「日本のバスケを引っ張ってきた彼が最年長として活躍して、嬉しそうにしている姿を見て僕も嬉しくなりました。彼らがオリンピックを決めてくれたことで、今シーズンはいっそう盛り上がるでしょう。とても楽しみですし、今度は僕らがやる番だとも思っています」

今年こそ悲願のB2制覇とB1昇格をという大きな期待も承知の上。

「そのプレッシャーも楽しみながら、皆で戦っていきたいと思います」と意欲を見せる。9月10日に古巣の川崎を相手に戦ったプレシーズンゲームでは、早速スターターを務めた。ブラックネイビーに身を包んでの最初の得点はティップオフからわずか4秒後の先制ミドルジャンパー。背番号27スタートは上々だ。

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