初来日となる新戦力のデレク・パードンは、プレーのタイプとしては比較的オーソドックスかもしれない。近年どのチームでも重宝される3&Dではなく、得点分布がミドルレンジより近い距離に集まるタイプのビッグマンだからだ。
プレシーズンゲームの限られたサンプルサイズで見る限り、オフェンス面はやはりペイントエリア周辺の攻防が大きな持ち味。ポストでボールを持っても、合わせのカッティングからのフィニッシュでも、自身の強みを心得た駆け引きのテクニックがある。ディフェンス面では、ピック&ロールへの柔軟で強力な対応が光る。高い位置まで相手ガードにプレッシャーをかけた後、ゴールに向かう相手ビッグマンへのパスを封じ、適切なローテーションもできる。ハードワーカーを自負し、203cmの身長に221cmのウイングスパンを備えたレフティーのビッグマンという特徴は、相手チームにとって攻守両面で相当厄介にちがいない。
豪NBLのニュージーランド・ブレイカーズでプレーした昨シーズンにオールNBLセカンドチーム入りを果たし、最優秀ディフェンシブ・プレーヤー投票で全体2位に入ったのも頷ける。
本人によれば、元NBAのザック・ランドルフとケビン・ガーネットを混ぜ合わせたようなプレーが信条だという。ランドルフは身長206cmのセンターフォワードで、パードンと同じレフティー。
「ビッグマンの中では特段に大きくない方なのに、自分よりも大きな相手を強さとうまさで攻略するところが大好きでした」とパードンは話す。
ガーネットに関しては内面的な強さが惹かれる理由だ。「プレーしているときの緊迫感がすごくて、勝利への執念や自分に厳しいところ、謙虚な姿勢など、彼に倣っている部分はすごく多いですよ」
現役NBAプレーヤーに例えるなら、ドレイモンド・グリーンのような役割を担いたいと話す。
「適切なスペーシングをして、ボールを回して、ピック&ロールで味方を生かす。そういう部分は僕の持ち味ですからね」
オハイオ州クリーブランドを故郷とするパードンは、近隣の街アクロンが生んだスーパースター、レブロン・ジェームズの影響を放っておいても受けたに違いない。しかしパードンの家族はより積極的に支援し、パードンが13歳のときに、ジェームズが作ったキングジェームズ・シューティングスターズというチームに参加する機会を用意した。それまでは兄妹や従兄弟と裏庭のゴールで戯れる程度だったというパードンだが、これが飛躍を生むスプリングボードとなる。
パードンはジェームズ自身から直接的な手ほどきを受けたわけではないという。しかし、コーチを務めていたジェームズの叔母、ダニエル・ラブがパードンの可能性に気づく。
「彼女は、僕自身もわからなかった良さを見つけて、うまい人や年長の人たちと競わせてくれたんです。より大きな舞台でも僕が活躍できたのはその経験があったからこそ。彼女のおかげで力を伸ばせたし、バスケットボールで頑張りたいと思えました」
家族の支援とラブの導きにより腕を上げていく過程で、パードンは身体的にも急成長。
「8年生(日本の中学2年生)になった頃にだいたい180cmだったのが14-15歳で成長期に入って、フレッシュマン(高校1年生)では195cm近くになっていました」。
高1で195cmはアメリカでもやはり相当大きい。しかも、ラブの指導の下バランスよくスキルを習得していたことで、パードンはビラ・アンジェラ-セント・ジョセフ高校時代にキャプテンとして州チャンピオンシップ獲得に成功。個人的にもオハイオ州のオールスターチーム入りやAP通信社が選ぶオハイオ州オールステイト・セカンドチーム入りなど、輝かしい成功を手にした。
この成功が次なる成功への扉を開くカギとなり、パードンはNCAAディビジョン1でも強豪チームばかりが集まるビッグテン・カンファレンスに所属する、ノースウエスタン大に進むことになるのだ。
パードンは、幼少期からこの時期に至るまでに周囲から受けた恩義を今も心に留めている。中でも大きな存在は父親で、自分を心身とも健康に育ててくれたのも当たり前ではないという思いがある。
「僕の育った地域は決して恵まれた地域ではありませんでした。でも家族や友だちに恵まれていたので、道を踏み外さずに済んだんです。学校に留まっていろんな活動に参加させてもらって。周りが僕を危ない物事から遠ざけてくれていたんですよ」
キングジェームズ・シューティングスターズという、安心して子どもを預けられるクラブにパードンが通ったこと自体がその象徴だ。それが技術習得だけではなく、若年世代を反社会的な行いや犯罪にかかわらないよう見守るシステムとして機能していたことを、パードンは理解しているのだ。
故に、その環境を用意してくれた父親、その中で才能を膨らませてくれたラブ、有力大学進学につながる活躍の舞台をくれた高校時代のコーチ、ベイブ・クウォズニアクを、パードンはメンター(恩師)と呼んでいる。
大学に進んだパードンは、3年生時にビッグテン全体1位となるフィールドゴール成功率61.7%(カンファレンス公式戦での成績)を記録し、オール・ビッグテンのオナラブル・メンション(正式メンバー選出に次ぐ高評価)に名を連ねる。
卒業後の2019年にはイタリアでプロデビュー。以降ヨーロッパで3シーズンを過ごし、ニュージーランド・ブレイカーズでの1シーズンを経てアルティーリ千葉に加わった。
来日の決断は難しいものではなかったという。日本でプレーしていたり、コーチをしていた知人が、こぞって日本についての好評判を語ったのが一つの理由だ。
「しかも、アンドレ・レマニスHCから連絡をもらったら、彼はかつてブレイカーズで指揮を執って優勝した経験があるというじゃないですか。それですぐに打ち解けて、お互いを深く知り合うようになったんです」。
来日から間もないパードンが、8月半ばに行われた公開練習の時点からはつらつとしたプレーを見せられている理由が、こんな言葉から理解できる。
パードンにとって喜ばしい驚きは他にもあった。ロールモデルのように捉えていた前述のガーネットが所属した当時のボストン・セルティックスが、チームのスローガンとして掲げていた言葉「Ubuntu(ウブントゥ: アフリカの哲学に由来し、『あなたがいるから私が成功できる』という意味合い)」が、アルティーリ千葉のチームカルチャーとして掲げられていたのだ。
「Ubuntuは以前から知っていた言葉で、バスケットボールに限らずチームでやることなら何にでも生かせる重要な考え方だと思うんです。それぞれが役割をしっかりこなして助け合う。誰かに足りないものがあれば補って、励まし合って進んでいく。それがUbuntuの重要な部分で、僕もそんな存在になりたいと思って常々やってきました」
パードンの加入は、スキルや身体能力面でのフィットに加えて、内面的に共鳴し合える要素がいくつもあることで大きな作用を生み出すことになるかもしれない。念願のB2制覇とB1昇格を目指すアルティーリ千葉で、それがどんな形になって現れるか非常に楽しみだ。