ラグビー王国として知られるニュージーランドで、日本人の母親とニュージーランド人の父親の間に生まれた紺野ニズベット翔。国技のラグビーは家庭では危険なスポーツというイメージが強く、母がかつてプレーしていたバスケットボールに興味を持つようになった。
アルティーリ千葉ではフロントラインの一角としてプレーすることが多いが、バーンサイド高時代にはコンボガードとしてニュージーランド国内のベスト8まで母校を導いた実績がある。当時憧れたプレーヤーとしても、コービー・ブライアント、ブランドン・ロイ、クリス・ポールなどバックコートのスターたちの名が挙がる。
高校卒業後はアメリカでのプロキャリアを目指し、ネブラスカ州のサウスイーストコミュニティ・カレッジに進む。しかし、母の祖国である日本に住んでみたいという強い思いから4年前に来日。昨夏からは、故郷「クライストチャーチにも似た雰囲気がある」という千葉の街で、ブラックネイビーのユニフォームを着て奮闘している。
紺野がバスケットボールに親しむようになったきっかけは、母親が昔バスケットボール部に所属していたことだった。それが元で、小学校5年生(ニュージーランドの初等教育では9-10歳)の頃に友人の父親が催した日本人コミュニティーのバスケ会に参加した。
もっとも、幼少期の紺野は両親が用意してくれた様々なスポーツを試す機会を楽しんだといい、母が危ないと心配したラグビーもやってみると楽しいという感想を持った。逆にバスケットボールに関して、母国代表や海外のバスケットボール事情に詳しかったりしたわけではない。
例えば、ちょうど紺野の小学校高学年時代にあたる2006年のワールドカップ(当時の呼称は「世界選手権」)で日本とニュージーランドが大激戦を繰り広げたこと(日本は前半38-20とリードして終えながら最終的に57-60で逆転負けを喫しグループラウンド突破を逃した)についても「知りませんでした!」と話した。
ブライアントやロイ、ポールら憧れのプレーヤーの名前から、バスケットボールに対するより専門的な興味が湧いてきたのがもう少し後だったことを察することができる。2010年前後の彼らの姿に感化された紺野は、バスケットボールに熱中し、飛躍を遂げたのだ。
ミドルティーンの年代を迎え、紺野は頭角を現す。進学先のバーンサイド高校は芸能や多様性を特徴とする学校で、「音楽とかパフォーマンス、ドラマなど有名で、スポーツはそれほどでもない」とのことだが、紺野は「僕がいた頃は結構強かった」と胸を張る。
実際、紺野が在籍した2014年にはナショナル・セカンダリースクール・チャンピオンシップ(ニュージーランドの中等教育機関の全国大会で、日本のインターハイやウインターカップにあたる)でベスト8進出を果たしている。
コーチ陣の紺野に対する評価は高く、当時の資料には、翌年には国内最高のポイントガードになれるであろうことや、ウイングスパンの広い優秀なディフェンダーであることなどが記されていた。
高校での活躍に加え、U18ニュージーランド代表に招集された時期もある。2014年からの3シーズンは、NBL(オーストラリアとニュージーランドをまたぐプロリーグ)のカンタベリー・ラムズでも計14試合に出場した。夢を膨らませた紺野は2016年に渡米。サウスイーストコミュニティ・カレッジで2年間を過ごしている。
紺野には妹がおり、渡米するまでは一緒にバスケットボールを楽しんだ。「妹が小さかった頃はシューティングでリバウンドをしてもらったり。妹がうまくなってきたのは僕が高校を卒業する頃だったので、アメリカに行く少し前に1on1をやるようになりました」
その後彼女はU17ニュージーランド代表に選ばれ、NCAAディビジョン1のジョージアサザン大(長崎ヴェルカの弓波英人と同級生)で女子チームのキャプテンを務めるなど、兄に負けず飛躍。今年卒業して母国のメインランド・ポアカイというチームでプロキャリアを始めている。
兄のおかげもあるのかも? 「ディビジョン1に行ったのはすごいこと。僕と1on1をやった影響も少しはありますね(笑)」と紺野は誇らしげに話した。
アメリカでのキャリアを目指した紺野だったが、母の祖国日本でBリーグが誕生したことを受け、日本でのキャリアを真剣に考えるようになった。
「以前から日本に住みたいと思っていたところにプロリーグができたので、日本に対する思いが一層強くなったんです。僕がやりたいことができるならそれがいいと家族も言ってくれました」
2018年に滋賀レイクスターズでBリーグデビュー。翌年から2シーズンはアースフレンズ東京Zで活躍し、昨夏アルティーリ千葉に創設メンバーとして加わった。
「いいメンバーが集まるし、トップクラスのコーチも来る。いいチャレンジかなと思ってアルティーリ千葉を選びました。新しいチームのスタートからいられることはなかなかないチャンスだし、フロントの人たちがしっかりしているとか、移籍にはいろんな理由があります」。
それだけ望ましい環境にある今、「みんなから学んでもっと良い選手になれるように」と静かな闘志を燃やす。
新天地での生活もとても気に入っている。「千葉はいいところですね。僕が今住んでいるところは、クライストチャーチにも似た落ち着きのある静かなところ。東京に比べると人が少ない代わりに、花がいっぱい咲いていて緑が多いです」
と、ここまでのインタビューをすべて日本語でこなした紺野だが、実は楽に話せるのは英語の方。しかしニュージーランドで幼少期に母親と日本語で話し、日本人世帯向けの語学補習校にも通っていたので、どちらも流ちょうなのだ。
ただし漢字だけはやや距離を置く存在だという。「僕はひらがな、カタカナまで。漢字は苦手です…(笑)」。普段使う漢字は問題ないのだが、ニュースなどで出てくる漢字の多い文章はハードルが高い。
「漢字はたぶん覚えるべきだと思うんですけど、今までも漢字なしでやってきたので…。本当はダメなんですけど(笑) ちょこちょこラインなんかで使うじゃないですか。だから本で勉強するよりは実際に使いながら覚えていこうかなと。本で勉強した方が絶対に早く上達すると思うんですけど…。ちょっと不便ですけど、まあ大丈夫かなと…」
漢字に関してだけは言い訳しきりだった紺野が「やっぱり英語の方が心地よくしゃべれます」というので、勉強のためにファンから日本語で語りかけてもらうのがいいですねと伝えると、「そうですね!」と答えて笑顔を返してくれた。