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アルティーリ千葉

ALTIRI CHIBA

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アレックス・デイビスを、まずはごくわかりやすく紹介しよう。「過去3年間のBリーグ最強ショットブロッカー」。こう覚えれば間違いない。

秋田ノーザンハピネッツに所属した2020-22シーズンは、B1レギュラーシーズンで連続ブロック王。青森ワッツに移籍した昨シーズンはB2レギュラーシーズンで全体3位だったが、B1・B2を通じて3シーズンの通算は284本(平均1.7本)で、誰よりも多い。

もちろんディフェンス面だけでなく、オフェンス面でもデイビスのプレーは魅力的だ。
ガード陣とのピック&ロールからゴールに迫り、アリウープ・ダンクに持ち込むパターンや、オフェンスリバウンドから豪快なプットバック・ダンクをぶち込むシーンがたびたびBリーグのハイライト映像に登場している。

青森はアルティーリ千葉が2022-23レギュラーシーズンで6度、プレーオフで2度対戦した相手。デイビスはその青森でキャプテンを務める中心人物であり、スカウティングも十分行われていたはずだが、その上で獲得に至った事実は、よほどその評価が高かった(脅威だった)ことをうかがわせる。

さて、こうしたプレーヤーとしての魅力はすでに一定以上知られているデイビスだが、彼がどんな人生を歩んできたのかについてはあまり日本で語られていない。基本的に明るい性格のチームプレーヤーであることは、コート周辺の様子から伝わってくる。
しかし、逆境を一気に吹き飛ばすような爆発的なパフォーマンスや、常に前向きで優しさを感じさせる人柄の源はどこにあったのだろうか。

「バスケットボールを始めたのは、オリバーという名前の兄がやっていたから。僕は4人兄弟のベイビー(一番年下)で、その兄が大好きでした。それで彼の背中を追いかけたんですよ」。
デイビスは自身のバスケットボールとの出会いをこう話した。故郷はテキサス州ヒューストン。デイビス家は父がキックボクシングと空手をたしなむ武道家で、兄たちも皆その分野で活躍した格闘技一家だった。

本格的なバスケットボールは高校に上がるまでプレーしていない。
「なぜってクラブチームに入るようなお金がなかったからです。いつもプレーグラウンドなんかで、お金をかけず空いた時間にやっていました。ボクシングも強かったので、そっちを頑張ろうと思った時期があるくらいです」。

しかし成長期に身長がグングン伸び、兄たちが「お前は体格的にバスケの方がいいんじゃないか」と勧めるようになる。
「8年生(日本の中2にあたる学年)で180cmくらいだったのが、ひと夏過ぎたら195cm。自分でもどうしたらいいのかわからないくらいの伸び方で、成長痛もひどかったです」とデイビスは当時を振り返る。

格闘技で養った運動能力と闘争心に加え、強靭な身体も伴ってきた。かくしてデイビスは、地元ヒューストンのジャック・イェーツ高校に進み、ついに本格的なバスケットボールの世界に身を投じるのだ。「高校では基本的に能力があればタダでプレーできたので」という点も、家族思いのデイビスには大きかった。

高校時代のデイビスはカーメロ・アンソニーに憧れ、ブレイズのロングヘアで躍動。
「相手を背負ってプレーするだけではなく、正対して速さで勝負したり、アウトサイドからも得点を狙ったりできるスキルに惹かれて、彼のようになろうと頑張りました」といい、有望株として頭角を現していく。
デイビスがプレーした2年間、イェーツ高校は70勝1敗という驚くべき強さでテキサス州の王座に2度、全米タイトルを1度獲得。デイビス自身、カンザス州にあるハッチンソン・コミュニティー・カレッジという短大でプレーする機会を得る。

ここでも、リージョン6(カンザス州全域をカバーするエリア)の王座獲得に成功し、同地区MVPに輝く活躍を見せたデイビスには、名だたるNCAAディビジョン1の強豪大学から転入の誘いが殺到。その中からデイビスは、最終的にフレズノ州大進学を決める。決定打は何と、NBAオールスター選出8度を誇る同大OB、ポール・ジョージとのサシの勝負だった。

「学校訪問の際にポール・ジョージが来てくれて、ワークアウトをしてもらえたんです。これがものすごくうまくいったんですよ。1対1をやって、取ったり取られたりを繰り返したんですが、ひとしきりプレーした後ジョージがコーチのところに行って、『この子は特別ですよ、コーチ。彼の持っているものは、うまく使えばNBAにも行けるレベルです』と言ってくれたんです」

子どもの頃はプレーグラウンドで身体能力に任せてプレーするばかりだったというデイビスは、バスケットボールで生きていくといった壮大な思いを持っていたわけではなかった。家族に大学卒業者がいなかったため、進学の意味さえわからなかったと本人は明かしている。しかし現役NBAスターから自身の能力を認められたことは、その後の人生を規定する大きな出来事となった。

大学時代はチームメイトに故障や不運な事故が続き、思うような成績を残せなかったが、デイビス自身はしぶとくDリーグ(NBAの下部組織、現NBA Gリーグ)でプロへの道を切り開く。そしてヨーロッパでの経験も積んだ後の2020年に来日、現在に至る。

来日4年目をアルティーリ千葉の一員として過ごそうと決めたことは、「それ自体が運命的」とデイビスは話す。
「アルティーリ千葉が『Ubuntu(ウブントゥ: アフリカの哲学に由来し、『あなたがいるから私が成功できる』という意味合い)』をチームカルチャーとして掲げていると聞いたとき、『え、本当に?今みんなUbuntuと言ったよね!?』みたいな会話になりました。実は高校時代も同じスローガンだったんですよ」。ゆえにデイビスにはこの移籍が必然として感じられるのだ。

それ以前に、移籍を選んだ理由は「クラブとしてチャンピオンのDNAを持っていると感じた」から。昨シーズンのプレーオフで、デイビス自身は活躍できたがチームとして圧倒されたことも、その根拠になっているのかもしれない。
同時に、次のラウンドでアルティーリ千葉が悔しい思いをし、今シーズンのB1昇格とB2制覇に並々ならぬ意欲と決意を持って臨んでいることも、自分がそれを成し遂げるために迎えられたということも理解している。

経済的に余裕がなかった幼少期の様子も心を開いて語り、「僕がバスケットボールで成功しているので、両親はものすごく喜んでくれています」と話すデイビスの屈託のない笑顔は、限りなく優しい。
度々の試合で見ることができるが、ファウルのコールにイラついたチームメイトにいち早く駆け寄り、肩を抱いて静かに語りかける表情はチームリーダーそのものだ。
相手のショットを空中で豪快にたたき落とし、天井に向かって吠える迫力満点の姿はこれまでもおなじみのデイビスだが、その人生にはアルティーリ千葉のファンが好きになれる理由がいくつもそろっていた。

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