稲妻のようなスピードでゴールに向かうオフェンスと、コートの隅から隅まで相手を追いかけまわすディフェンスが魅力の藤本巧太は、話してみると以外にもおっとりした雰囲気がある。
性格的には素直で、「どんなアドバイスでもひとまずやってみて、うまくいかなければもう一度聞きなおすし、うまくいけば続けるという感じ」と話す。
それだけに周囲から受け入れられやすいのか、ミニバスから中・高・大学とすべてでキャプテンを務めている。
自宅にはゴールがあったため、ミニバスの練習がある週末以外は仲間のたまり場だった。そんな環境も藤本をチームプレーヤーとして、リーダーとして成長させた要素だろう。
育英高校では、寮で日常生活からすべてを共にした仲間との絆が全国の強豪をなぎ倒す力になることを知った。
大阪体育大学ではU22日本代表候補、特別指定選手としてのB1デビューを経験しながら、仲間を思うプレーに磨きをかけた。今、アルティーリ千葉で活躍できている。しかしこれは完成形ではない。飛躍の本番はこれからだ。
先にバスケットボールを始めた兄の練習を見に行ったことがきっかけで、小学校1年生で地元のミニバスチームに加わった藤本は、兄を超えたいという思いとともにボールを追いかけ、スラムダンクにはまり、「自宅のリングで、みんなで集まってバスケするのが日常」という小学校時代を過ごした。
現在のプレースタイルは比較的オーソドックスな印象だが、そうなった理由の一つは、当時マイケル・ジョーダンやスティーブ・ナッシュら、基本に忠実なプレーを驚異的なレベルで遂行し続けるスーパースターを見ながら育ったからかもしれない。
成長とともにプレーの見方は変化した。好きな選手は一人ではなく、「ドライブだったらカイリー・アービング、パスならナッシュとか、誰か一人の全部ではなくいろいろな選手の好きなプレーがあります」と話す。最近のポイントガードではファクンド・カンパッソの名を挙げた。
様々な実力者の良いところを参考にするのも素直さの現れなのだろう。そんな性格と旺盛な研究心は、まちがいなくプレーの幅を広げる助けとなった。
高校ではチームメイトとともに寮生活で、平日4 ~ 5時間、土日なら午前・午後通しの練習に取り組んだ。高校時代の3年間は丸ごとバスケットボール一色。その甲斐あって1年生時からスターターに定着し、キャプテンとしてチームを率いた3年生時には、全国大会でなかなか勝てない時期が続いていた育英高校をインターハイやウインターカップでベスト16入りに導く。
インターハイでは県予選の最優秀選手賞を受賞。本戦の2回戦では、前年優勝した明成高校を相手に21得点を挙げ勝利に貢献した。
ウインターカップでは強豪・北陸高校に敗れた最後の試合も85-86の大激戦。惜しくも8強入りを逃したが、19得点・8アシストを記録する大活躍は仲間と積み上げた努力の証しだ。
「相手の方が強いと言われていた中で、格上に勝っていけたことが思い出です」と藤本は振り返る。
なぜそれが可能だったのか、藤本自身はこう分析する。
「日常生活も皆と一緒だったのでお互いのタイミングがぴったり合いました。(ポジション的な)バランスも良く、皆が自分の役割をわかっていたし、自己中心的にならず全員が献身的でチームのためにプレーできたんです」。
その中でガードとして信頼され、期待に応えられたことが、藤本のリーダーシップと責任感を育んだ。
「技術的なことだけでなく、負けない気持ちとかやられたらやり返すという気持ち、どれだけ勝っていても負けていても全力でプレーするというのが高校で学んだこと。プロキャリアでもそれが自分の強みとして生きています」
2017年の春、大阪体育大学に進んだ藤本は、かつて実業団・松下電器で活躍した名ガード、比嘉 靖HCの下でプレーメイカーとしての基本を再確認する。
「一つ一つのプレーの精巧さを求め、その時々のベストのパスのしかたやストップのしかたはどんなものなのか。ドライブからシュートまですべてにおいて、魅せるより周囲を思うバスケットのしかたを学びました」
その指導は早々に実を結び、藤本は1年生時から光を放つ。関西学生連盟の新人戦では、チームを優勝に導くとともに最優秀新人賞を受賞した。
それでも「高校時代とシステムがほとんど同じで溶け込みやすかったのと、先輩方にディフェンスがひきつけられていたので僕が活躍できたと思います」と謙虚なところが藤本らしい。
その後2年生時には、U22日本代表候補第1次スプリングキャンプに招集されている。バスケットボールでは、高校から大学に進む過程でフィジカリティーの違いが壁になるケースも多い。
しかし、藤本はスタート時点から実戦でそれに挑戦する機会が得られ、一定の実績を残したところで代表候補として選りすぐりのタレントと激突する機会を与えられたことがさらなる成長につながった。
「関西から代表活動に参加して、体の当たり方や一つ一つの精度、個々の能力の高さを肌で感じました。普段体験できない大きさやスピード感、シュート力に触れられたのは大きかったです」
また、藤本の飛躍には母校の校風や文化も影響したようだ。試合のたびに応援団が楽しくチームを盛り上げたという。
「最初の試合から応援に圧倒されたというのが正直な感想で、僕には大きかったですね。どこでやってもお祭りみたいにいっぱい来てくれるんですよ」。力強い同窓生の応援は励みになった。
恵まれた環境下、藤本は最終学年で特別指定選手として大阪エヴェッサ入りし、B1デビューも果たす。しかも初出場直後にミドルジャンパーで初得点をも記録した。
「準備はできていたつもりなのに、正直ものすごく緊張しました」というそのときの感想は初々しい。
「点数を決められた喜びはもちろんあるんですけど、ほんの短い時間でもすごく疲れました」。ここでもはしゃぎすぎることなく、どこかおっとりしている。
プロを意識したのは高校2年生の頃から。大学時代はその意識がもう一段高くなり、どうすればプロクラブ関係者の目に触れられるか、先輩や周囲の助言に耳を傾けた。
もちろん最初からB1入りという希望はあったが、最初に連絡をもらえたアルティーリ千葉の話が魅力的だった。
「アンドレ・レマニスHCや大塚裕土さん、岡田優介さん、小林大祐さんなど経験豊富な人たちがチームに来ると聞いて、B3でも勉強できると思いました。キャリアの土台を作る上で必要なことがそろったチームだと感じたのが、ここに来た理由です」
偉大なる歴史を作るアルティーリ千葉のビジョンに最年少の立場で加わり、クラブと同じタイミングでプロキャリアをスタートさせた。
仲間思いでおっとり、それでいて稲妻のような破壊力を持つ若きリーダーの成長が、アルティーリ千葉をネクストレベルに押し上げる。